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4.ホイアン観光と夜祭 中部のホイアンは、貿易の拠点として栄え、ベトナムの歴史の中でも独特の発展を遂げた古都、とある。日本を始め中国やヨーロッパ諸国の貿易商が滞在したため、それぞれの国の建築様式の建物が点在している。16世紀後半から17世紀にかけて、日本人町(多い時には、千人が居住)が在って、日本人が1593年に架けた特異な屋根付きの橋・日本橋(来遠橋)が在る。シクロに一人づつ乗って旧市街を日本橋まで見学したが、趣のある木造の家屋が建ち並んでいた。町は、1999年に、世界遺産に登録されたそうだ。日本橋で解散して、市内を散策したが省略する。 ホイアンには、夜祭(旧暦の満月に行われる伝統的な祭)を見学するために、前日(1/7)の午後に入った。暗くなると、市内を流れるトッポン川の或る橋(カムナム橋?)辺りに簡素なランタンが流され、旅情をくすぐられた。市内の店や家屋は、電灯を消し、軒先にホイアンの風物(凝った作りの提灯)を掲げていて、美しかった。 5.ミーソン遺跡 遺跡は、ダナン(戦時、米軍の大きな基地が在った都市)の南西約60kmに在ったチャンパ王国の聖地跡だそうだ。チャンパ王国とは、2〜17世紀に外国との交易で発展した国で、中部にはその遺跡が多く残っている、と言う。1999年に、世界遺産に登録された。整備された山道をしばらく辿って着くのだが(生憎と小雨が降っていた)、遺跡を一目見て、写真で見たカンボジアのアンコール・ワットと同じだな、と感じた。遺跡は四方を山で囲まれ、南に聖山・マハールヴァタが在るそうだが、悪天候で見ることは出来なかった。遺跡は、雨風に打たれるままになっていたが、何らかの保護をして欲しい、と思った。 6.ホーチミン観光 1975年のサイゴン陥落で、都市名がホーチミンに変わったことは、よく知られている。フランス統治時代の建物や教会などが大した戦禍を受けずに残ったのは、良かった。米軍及び南ベトナム政府軍が、戦争の最後に、全面(無血)撤退を選択したからだ。市内には、公園が多いそうで、われわれの泊まったホテルの前にも日比谷公園位の公園が在った。朝食後に散歩したが、市民は、ウォーキングをしたり、その公園には3ヵ所在る円形の舞台(?)で男女が組んでダンスを踊っていた。余談に成るが、ホテルから公園に行くには道路を横断しなければならないが、絶え間ないバイクの集団(!)走行で命懸けの行動だった。それ程に、バイクの数は半端でない。 統一会堂は、南ベトナム政権時代の大統領官邸と説明を受けたが、当時、「独立宮殿」と呼ばれていたそうだ。大統領の応接室や会議室などを含めて、大小100余りの部屋がある。地下には、戦時のラジオ放送施設や作戦会議室なども残されており、当時のままの状態で公開されている。また、屋上の或るスペースには、大統領専用ヘリコプターも展示されていた。中央郵便局を訪れたが、それは、19世紀のフランス統治時代の貴重な建造物だそうだ。ヨーロッパの駅に似た造りで、パリのオルセー美術館を思い出した。近郊の古い地図が、壁面に展示してあった。巨大なベンタイン市場を見学したが、省略する。観光地ではないが、一言触れて置きたいのは、国立の身体障害者の工場である。たくさんの身障者が、刺繍絵などを黙々と作っていた。戦争の齎す問題を、改めて考えさせられた。 前に書いたように、今回のベトナム・ツアー旅行は、3名の現地ガイド(女性1名、男性2名)に、順次、案内をしてもらった。ガイドの方達(高学歴?)は、国の現状や歴史をよく勉強している、と感じた。彼等は、バスの移動中に、その知識をわれわれに披露してくれた。それに基づいた見聞(真偽は、確認していない)を、以下に記す。 1)1/5朝は、気温(5℃位?)が低く、寒かった。寒さの所為で、学校(どの種の学校までかは聞き漏らした)が休校に成った。また、陶器の村・バッチャンで、昼食時に、たくさんの学生・生徒に遇った。学校は半日制で、皆それから家へ戻って昼食を摂り、午後は、両親と一緒に働くのだそうだ。 2)ベトナムの家の敷地は、間口が狭く奥行きが長い(京都の町屋のように)。その理由は、税金が間口に応じて掛かるのだそうだ。多くは4階建てで、1階は車やバイク、仕事に必要な物などを置き、2階は居間、3階は寝室、4階は衣裳などを置く。家(昔は国有だったが、ドイモイから私有化)の価格は、日本並みの高さ、と言う。 3)ベトナムには、ローン制度が無い。長年の戦乱で、未だに通貨が信用されていないのか。1米ドル=2万ドン。 4)仏教国(8割が仏教徒)・ベトナムの寺は、税金を払う。また、僧侶の世襲は無い。したがって、“坊主丸儲け”とは成らず、僧侶は貧乏(どこかの国とは異なる)。なお、死者の処理は土葬で、2年後に掘り起して、再度埋めるそうだ。 5)駐車場が無いので、道路に大量に駐車している。特に、バイクが多く、どれが自分のか分からなく成るのではないか、と思った。 6)結婚前のカップルの写真撮影が、彼方此方で行われていた。披露宴の1週間前にそれを行なって、アルバムを作って披露宴で配る、と言う。金持ちは、それに1ヶ月を掛ける場合もあるそうだ。結婚式には、皆お金を掛けるようだ。 7)国民は、ベトナム戦争の相手・アメリカに、今も相当の反感を持っているようだ。ホーチミンに米領事館が出来たのは、1995年(!)で、現在も厳重な警戒下にある。ベトナムは、共産党の一党独裁下に在る。 旅は道連れと言うが、今回もツアー・メンバーには恵まれて、和気藹藹の旅と成った。東南アジアも、ベトナム辺りまで足を延ばすメンバーだから、かなり旅行好きな(好奇心旺盛な)方達なのだろう。また、ツアー中に、小生に偶然のラッキーが有った。仲間の一人が、同年生まれで、誕生日が1月7日だった。小生は8日遅れの15日だが、彼の誕生祝のついでに、日本人ガイドからバッチャン製の湯呑を頂戴した。帰国後、毎日、それでお茶を飲んでいる。 |
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そちらは、雪景色になってるのでしょう。 |
kydream 2012/01/20 12:31 |
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